案外知らない人が多い元々の話
日本の小売業の凄いところは、自国には縁も所縁もないものを上手に取り入れて、その本来の意味などには全く頓着なく毎年の恒例イベント化とさせてしまう点だ。
古い例で言えば2月14日の「バレンタインデー」がある。「女の子から男の子に愛を告白する日」としてチョコレートをプレゼントする習慣が生まれたが、これは完全にチョコレート会社が仕組んだもの。するといつの間にか3月14日が「ホワイトデー」と呼ばれてその逆の位置づけとなった。ホワイトの言われは「白いマシュマロ」。
関西中心の風習が関東を含む全国に広まったのは「恵方巻」だろう。たぶん、30年も遡れば関東の人はその存在すら知らない筈だが、今や節分の全国行事。これはイオンが仕掛けたとも、コンビニが仕掛けたとも言われるが、今では食品の廃棄ロスの代表的な一例になってしまった。
更に、渋谷の大騒ぎで有名なハロウィーン。日本伝統文化ではないことは誰もが知っていると思うが、キリスト教のお祭りと勘違いしている人も大勢いる。元々はケルト人のお祭りと言われているが、カボチャで作った「ジャック・オー・ランタン」の方が有名になり、また変装してパーティーをする文化が広まり、いつの間にか商業イベントに利用されるようになった。
サンクスギビングデー(感謝祭)がまずありき
ブラックフライデーを理解する為には、まずサンクスギビングデー(感謝祭)を知らないと話に追いつけないだろう。アメリカとカナダの祝日のひとつで、収穫感謝祭のことである。日本では盆暮れに故郷に帰って一族があつまる習慣があるように、米国ではこの週に多くの人が休暇を取って帰京する。サンクスギビング・デー自体は11月の第4土曜日と定められており、今年は11月26日がそれにあたる。当日は故郷に家族があつまり、七面鳥料理を囲んでお祝いをする。
米国大統領選挙の仕組みを理解するのに最適な米国のテレビ番組としてプレミアム・レポートでご紹介した「ザ・ホワイトハウス」(原題:West Wing)でも題材になっていたが、毎年大量にこの日に食卓に上がる可哀想な七面鳥の一羽に大統領が恩赦を与えるというイベントもある。ただ基本的にはその年の豊作への感謝をする日として始まったのが感謝祭(Thanksgiving)だ。
お目当てはサンクスギビングデーの翌日の金曜日
当然一族が集まれば、プレゼント交換で盛り上がるのが米国人の習慣でもあるが、その為、サンクスギビングデーの前にまずは多くの人がプレゼントを手配する。だが、本当のお目当ては26日のプレゼント交換の翌日から始まるクリスマスセールだ。良い商品は初日に売れてしまうという万国共通のセールの特性もあり、サンクスギビングデー(木曜日)の翌日、すなわち金曜日に人々が小売店に殺到する。実家に帰ってきた息子や娘、或いは孫たちに囲まれて、嬉しそうにカードにサインをしているお年寄りを見ることも出来る。住宅地や郊外のショッピングモールは大賑わいだ。
逆にこの週、もしマンハッタンにでも行く機会があれば驚くかも知れない。それは普段とは全く違って人影がまばらなのだ。そもそも今は自粛ムードが先になるが、普通の時でも驚くぐらい5番街からも人が消える。如何にマンハッタンが観光の街であるかを証明する一面でもあるが、企業訪問をしようとアポを取ろうとしても、そう簡単にこの週は相手にしてくれない。IRの担当者も皆休暇を取って帰郷してしまうからだ。
その人々が金曜日に大量にお買い物をすることで、多くの小売店が「黒字化」する。そもそも米国の小売売上高の2/3程度が年末ホリデーシーズンに集中すると言われるのだから、その初日と言えば当然だろう。だから「ブラック・フライデー」と呼ぶ。「ブラック・マンデー」とは全然意味も内容も違う。
本来はもう不要なサイバーマンデー
貧弱なインターネット環境が生み出したサイバーマンデー
最近の若い人たちにインターネットの「ダイアルアップ接続」と言っても、まずピンとくる人は居ない。トムハンクスとメグライアンの有名な映画「ユー・ガット・メール(You’ve Got Mail)」の話をしても、1998年12月に封切りになったこの映画が、偉く古典的に見えるのは、この「ダイアルアップ接続」のシーンが何度も出て来るからかも知れない。
インターネットが「ブロードバンド」(これも死語に近い)になって、常時接続が当然の時代になったのは、そんなに昔の話では無い。実際、2005年前後に日本でもだいぶ普及した「peer-to-peer」接続のファイル交換システム「Winny」や「WinMX」などは、接続相手がどんな回線を使って接続しているかをよく見て選んだものだ。当然、ブロードバンドの方が、ダウンロードするのも、アップロードされるのも早くて済むからだ。
一方でAmazon.comなどがe-commerceをはじめて、非常にポピュラーなものとなったのも、前述の映画が流行った1998年頃と重なる。ちょうどWindows98が出た年だ。その頃のインターネット環境は、オフィスでは徐々に専用回線や光ファイバーなども導入されつつあったが、一般家庭の主流は「ダイアルアップ接続」。いちいちモデムからアクセスポイントに電話を掛けて、インターネットにアクセスしてから使う。モデムの性能も重要だったし、通常のアナログ回線か、ISDN回線かなどの区別があった。そして何より問題だったのが、「ダイアルアップ接続」は「従量課金制」が殆どだったという事だ。
シアトルからニューヨークの電話代は国際電話とあまり変わらない
出張族だから仕方ないのだが、Amazon.comなどを企業訪問するためにシアトルのホテルにチェックインした時も、最初にするのはホテルの部屋にあるデスクの下にもぐる事だった。別に防災訓練をするためではなく。大体そこに電話線のモジュラージャックがあるからだ。ケーブルを繋いでVAIO505(当時の名機のノートPC)を起動する。当時契約していたNTTコムのインターネット・アクセスポイントはニューヨークだったので、あまり考えることなくホテルの部屋から接続し、数時間仕事をした。チェックアウトする時、請求書を見て間違いかと思った。宿泊代よりも遥かに高い電話代。フロントマンが教えてくれた。「米国大陸の西と東なので、ニューヨークへの電話は高くつきます」と。
ブロードバンドと常時接続がサイバーマンデーを生んだ
今考えると当時のWebコンテンツ自体がまだまだ軽いものではあったが、当然当時でも商品の写真はついていた。ただ写真は精彩になればなる程、大きくなればなる程、当然ながらデータ量が大きくなる。でもe-commerceで納得いくものを買いたい消費者としては、写真を良く見たい。「従量課金制」の「ダイアルアップ接続」では、ただただ通話料金が跳ね上がるだけだ。ローカル接続が出来るアクセスポイントがあるインターネット・サービス・プロバイダーならば25セントで繋いだままでも良いのだが、故郷に必ずアクセスポイントがあるとも限らない。
だから多くの人はサンクスギビングデーの休暇が終わって、会社に最初に出社する月曜日に、仕事そっちのけでe-commerceでの買い物に走るようになった。オフィスのパソコンならば、通信環境も格段に良いし、料金も掛からない。人々が今度はe-commerceに集中する月曜日という意味で、「サイバーマンデー」と呼ばれるようになった。英語で書くと「Cyber Monday」となる。当時はサイバーマンデーのネット・トラフィックの上昇が頻繁に話題になったものだ。ブロードバンドと、常時接続へのニーズがサイバーマンデーを生み出した。
5Gの時代にサイバーマンデーは歴史の名残でしかない
今現在、少なくとも日本では5Gは殆ど全くと言っていいほどインフラが普及していない(私のiPhone12 Proは宝の持ち腐れ状態)が、通常の自宅のネット環境は光ファイーバーあり、常時接続で、WiFi接続も可能というのがデファクトスタンダードになっている。つまり慌てて来週の月曜日にオフィスに出てからAmazon.comを開く必要はない。
だがその習慣の名残もあり、サイバーマンデーという言葉は生き残り、アマゾンはこの27日(ブラックフライデー)からサイバーマンデーのイベントを開催する。
新型コロナウイルス・COVID-19の感染再拡大が騒がれる中、ある意味では「サイバーエブリデイ」となってしまったが、元々の語源を踏まえつつ、自宅から楽しくサイバーマンデーの買い物をしたいものだ。だから問題は寧ろブラックフライデーとなるかどうかだろう。下手をすると、リアル店舗のビジネスの方が、レッドフライデーとなってしまうかも知れない。