FG Free Report 日米金融政策のリアルを知る(9月25日号抜粋)

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2024年3月、日銀は17年ぶりの利上げを決定しました。しかし、ひとたび金融政策変遷の歴史を振り返ると、単純に「利上げをすれば円安を克服し物価上昇も抑えられる」という考え方には疑問が残ります。今回は、過去と現状の違いを明らかにしながら、日米の金融政策の考え方についてプロのファンドマネージャーが解説します。

投資での資産形成をお考えの方も、既に投資を始められている方も、ご自身の知識と照らし合わせながらご覧ください。

(Fund Garage編集部)

「米国景気は強く、日本景気は弱い」という事実

2024年3月19日に行われた金融政策決定会合で日銀は、「マイナス金利解除」を発表した。

これまでの無料記事をお読みいただいているみなさまはご承知のように、私は「今は利上げのタイミングではない」とずっと説いてきたわけだが、本記事では、その理由を再度ご説明したいと思う。

(なお、本記事は2023年9月発行の有料記事の再編集版につき、9月当時の状況をベースとして解説していきます。)

2023年9月のFOMCと日銀金融政策決定会合

2023年9月19~22日の間、FOMCと日銀金融政策決定会合が共に終了した。

結論としては、どちらも現状の金融政策を維持することとなった。プレスリリース発表後のパウエル議長と植田総裁の記者会見では、双方共に、現状から今後への見通しについては極めて慎重な姿勢が見て取れた。すなわち、市場に余計な先入観を抱かれないように、いつになく言葉を丁寧に選んでいる印象を受けた。

まずパウエル議長は今後の利上げについて、恒例のドット・チャートで示したものが、2024年のFOMCメンバーが予想するFFレートの予想水準が従来より0.5%引き上げられたことと、その意味について細かく配慮して説明していた。

そして、日銀の植田総裁のそれは、事前に読売新聞によるマイナス金利解除のフライング的な予想があったことから、それが「(総裁の意図としたこととは違う内容の)フライング」であることを説明するために心を砕いた感じだった。

ただ、一部のメディアはそれでもなお、「物価上昇は近時の円安に起因しており、それはすなわち日銀が利上げを躊躇い、いつまでも金融緩和政策を変更しないからだ」という論調に包まれていた。

米国と日本の景気状況は真逆

米国については、あと1回は0.25%の利上げがあるかも知れないが、そう言い切れるものではない。現時点では、早々に利下げに回るという絵を安易に描かない方が良いだろう。

なぜなら、パウエル議長やFOMCのメンバーの誰もが驚きをもって受け止める程に、米国景気は底力があり強いからだ。でもそれは何ら悲観するような問題ではなく、むしろ投資家にとっては朗報と言える。

では、日本も同じ状況にあるのかと言えば、決してそうではないのが現状だ。さらに言えば景気に関しては米国とは真逆の状況にある、という「自覚」を持つべきだとさえ思えてならない。

つまり、

  1. 景気が強く、需要もあるため、
  2. 人手不足が恒常的に発生し、
  3. 採用合戦が故に人件費も上昇

している米国の状況とは根本的に状況が異なるということだ。

だからこそ、日銀植田総裁は「力強い需要を取り戻すまでは金融緩和政策を続けて景気を下支えするしかない」と言い続けているし、

「利上げをしないなら、(円安による輸入)物価高を救おうとしない政府も日銀も、庶民を切り捨てたのだ」という議論は、ワンステップもツーステップも、ホップ・ステップ・ジャンプしてしまっていると私は感じる。

実際、仮に1ドル100円で計算したとしても、まず米国の現状の物価は日本の比ではなく高い。「だから賃上げが必要だ」という議論は理解できるが、日本の「簡単には人員整理できない雇用慣習」の中で「ベースアップ」する経営判断は極めて重いものである。(経営側に立ったことのある方なら、よくお分かりいただけるはずだ。)

ならば、決算期毎の収益状況に合わせて「賞与」に載せれば良いのでは?と思われるかも知れないが、日本企業では一度それも引き上げると、「前年度実績との対比」という概念が醸成されてしまう。

業績の良し悪しに関わらず、年度終りに「下位10%のリストラ」を行える欧米企業と、

取引先に出向を受け入れてもらってまでも、雇用を65歳まで確保することが求められる日本企業

とでは、そもそも論が余りにも違い過ぎる。

また、利上げすれば円安が収まるのかということさえ、近時はやや疑わしくなってきていると思われるのも事実だろう。

利上げより先に、少子高齢化に歯止めを掛ける策を講じることと、その傍らで「高付加価値」の産業を築き上げることが本質的な円安阻止、適正な為替水準維持ということになるはずではないか。

少々利上げしたところで、2050年には人口が9500万人にまで減少するこの国の通貨が、本質的に高値(円高)でいられるわけがないからだ。

例えばこの記事を先週見つけた時、正直な話、私は日本にお花畑を見た。こんな話を厚労省がしないとならないのだろうか。同じような話は「リスキリング(Re-Skilling)」とかいう話も同様だろう。

これで予算がつけば、必ず何処かが濡れ手に粟とばかりに予算消化で潤うところも出る。でも恐らく、机上で期待された程の結果は出ないだろう。なぜならやる気がある人達は、放っておいても自ら動いているのだから。

(引用:日本経済新聞. (2023). 中高年をデジタル人材に 厚労省、企業で長期インターン. 2023.9.20.)

日米金融政策の歴史を振り返る

1996年~2001年の米国:「根拠なき熱狂」から「ドットコムバブル崩壊」へ

さて、日米中央銀行の金融政策を正しく理解するのには、正しく時代の流れを解きほぐすことが何よりも大切だと言える。

まずは、米国で起きた1996年以降の出来事を紐解いてみよう。この時代は、「ドットコムバブル」期と一般的に呼ばれる。

1997年に、アジア通貨危機が発生した。タイ、インドネシア、韓国などのアジア諸国の通貨が急落し、世界的な金融市場に影響を与えたが、当時米国経済は依然として強く、金融市場も安定していたため、FRBは引き締めを見送っている。

そして翌1998年、ロシアが金融危機に陥り、デフォルト(債務不履行)となった。更にこれを受けて、著名な金融専門家のグループによって設立されたLTCM(高度な数学モデルと金融理論を利用して、異常なリターンを追求するヘッジファンドとして一世を風靡した)という大手ヘッジファンドが破綻、金融市場に大きなショックを与えた。

これらの出来事を受けて、FRBは金融市場を安定させるために(インフレの芽があるにもかかわらず)利下げを行わざるを得ず、金融政策の引き締めへの転換がさらに遅れた。

だがこれが災いして、1999年から2000年にかけて米国経済は急速に過熱し、インフレ圧力も高まってしまった。要するに金余りだ。

そこで、FRBは金融政策の正常化に漸く踏み切ることができ、利上げを僅か1年足らずの間に合計6回も行った。

「ドットコム・バブル」を当時FRBの議長を務めた有名な議長、アラン・グリーンスパン氏の発言を引用して「根拠なき熱狂」だったと語る人は多い。

だがグリーンスパン議長がこの「根拠なき熱狂」というフレーズを講演で使ったのは1996年12月のことというのはあまり気づかれていない。

1996年12月末のNASDAQは僅かに1,291.03ポイントでしかなく、その後2000年3月10日には、5048.62ポイントとつけるまで駆け上がった。

何がここでお伝えしたいのかと言えば、FRB議長は既に1996年12月には「根拠なき熱狂」として株価上昇に懸念を抱き金融引締めに掛かりたかったものの、外部環境が許さなかったため逆に金融緩和をせざるを得ず、漸く状況が許した時から一気に引き締めたことで、株価が急落するバブル崩壊へと繋がったということだ。

「1996年から2000年」という時代括りで私は、その渦中でファンドマネージャーとして過ごした記憶に照らし、今とは全く違うことが起きていたと断言できる。

1996年~2001年の日本:「バブル崩壊後の停滞期」から「量的緩和政策」へ

次に、同じ時期(1996年~)の日本の状況も紐解いてみよう。

この時期、日本はバブル崩壊後の経済の停滞期にあり、デフレーションと経済の停滞が続いていた。

そこで日銀は、経済の刺激とデフレーションの克服を目指すべく、低金利政策を継続していた。

そのため、バブル崩壊後の1995年には最初の超円高が起きている。(日本がガンガン利下げし、景気がガラガラと音を立てて崩れる中で、なぜ”超円高”になったのか。今の為替相場のロジックでは説明がつかないことに、お気付きいただけるだろう。)

1997年11月、日本証券界の名門中の名門、四大証券の一角であった山一證券、そして長期信用銀行の一角であった日本債券信用銀行が相次いで破綻した。さらに翌1998年10月23日には、日本長期信用銀行(長銀)が破綻し、金融再生機構によって管理され、1998年11月17日には日本の都市銀行としては戦後初の破綻となった北海道拓殖銀行の破綻があった。

その他にもバブル経済崩壊後の不良債権問題が深刻化し、金融機関の経営基盤が極めて脆弱になったことで、日本の金融システムは危機に瀕することとなる。

実際私は、当時のオフィスビルの1階に入居していた安田信託銀行(現在のみずほ信託)の支店で取り付け騒ぎが何度か起きていたのを目撃している。

そこで日銀は、金融システムの安定を図るために、さらに金利を引き下げ、事実上のゼロ金利政策を導入した。(下記チャートをご参照)

その後、1999年も日銀は短期金利を事実上ゼロ近くに維持し、金融市場に流動性を供給し続けたが経済の停滞とデフレーションからは抜け出せなかった。

そこで2001年に日銀は、従来の金利政策の枠を超えた「量的緩和政策」を導入した。

しかし、これもまたデフレーションの克服には至らず、その後多少状況が好転してきたかに見えると拙速に利上げを行ったがために、日本の株価は「アベノミクス」と「黒田バズーカ」の時代まで、低迷を続け「失われた30年」と言われる時を過ごした。

(この辺りの流れを政策当局側の”軍司”のような立場として、中側から当時の植田総裁は関わっておられた。)

現状の経済状況に目を向ける

ここまで過去を振り返ってきたが、いかがだっただろうか。

「物価上昇は近時の円安に起因しており、それはすなわち日銀が利上げをしないからだ」という論調がなくならない理由は、歴史的背景を正しく知らずして、当時の金融政策の変遷や「ドットコム・バブル」と今とを誤った捉え方で重ねてしまっているからだと私には思えてならない。

だが、全く現状は異なる。FRBにとっても、日銀にとっても、現在の物価上昇の背景は当時とは全く異なる構造でそれぞれ起きており、当然金融政策で対応しようとする矛先も違う方向に向かっている。

少なくとも、FRBも日銀も、今の株価上昇を「バブル」と認定してそれを潰そうとは考えていない。

以上のことを、我々投資家は理解しておく必要がある。

まとめ

今回は、以下の内容を中心に「米国と日本の景気のリアル」についてお伝えした。

 

  1. 米国と日本の景気状況は対照的である。米国の景気は強く、日本の景気は弱い。
  2. 日本においては、「雇用慣習」「少子高齢化(人口減少)」が大きな足かせとなっており、利上げをしたところで急激な景気上昇は望めないだろう。
  3. 2000年前後の米国「ドットコムバブル崩壊」の原因は、本来ならば金融引き締めを行うべき状況の中で、「アジア通貨危機」や「ロシアのデフォルト」が起きたために金融緩和をせざるを得ず、その後状況が許したタイミングで一気に金融を引き締めたことであった。
  4. 同時期の日本は、バブル崩壊後のデフレに見舞われており、日銀は事実上のゼロ金利政策を導入したが成功せず、2001年には「量的緩和政策」を導入したが、
  5. 「量的緩和政策」もまたデフレーションの克服には至らず、「アベノミクス」と「黒田バズーカ」の時代まで低迷を続け、「失われた30年」を過ごすことになった。
  6. 「日銀が利上げを行わないから物価上昇と円安が起こる」という論調は、誤った考え方で歴史を捉えているからではないだろうか。

 

メディア報道で今の日本は「バブル以来の物価上昇」という風に言われているが、当時の「バブル」とは全く違う構造であり、そうなれば解決策も変わってくるはずだ。

2024年3月の「マイナス金利解除」をどう受け止めるか、今一度検討する必要がありそうだ。

編集部後記

こちらは、Fund Garageプレミアム会員専用の「プレミアム・レポート」の再編集版記事です。
公開から半年以上経った記事になりますので、現在の情勢とは異なる部分がございます当時の市場の空気と、普遍的な知見を皆様にお届けできれば幸いです。
また、こちらは無料版記事のため、最新の情報個別企業の解説についてはカットしております。
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