現状(2020年4月19日現在)の株式市場概括と基本スタンス
客観的事実と2つの異なった市場の見方
日本株が日経平均株価は3月19日に16,552.83円を付けたのを底値として、米国株はNYダウが3月23日に18,591.93ドルを付けたのを底値として反騰、4月17日現在の終値は前者が19,897.26円、後者が24,242.49ドルと、それぞれ大きく戻して終わっている。ハイテク株が多いと言われる米国NASDAQ総合指数は既に年初来△3.59%の水準にまで値を戻している。
「もう株価は底を打って、ポスト・コロナを見据えた動きになっている」と株価の先見性に着目したポジティブな意見もある一方で、「株価は楽観のし過ぎだ。ポスト・コロナで先ずは経済が大きく落ち込む。リーマン・ショックなどを上回ることになる」などネガティブな意見もある。
多くの日米市場関係者のコメントや見通しをリサーチ・レポートやメディアを通じて調べてもいるが、考え方の違いを生んでいる一番のポイントは「新型コロナウイルス」がそう遠からずコントロール出来るようになってくる(治癒出来るとは言っていない)と考えるか、現状は「新型コロナウイルス」感染拡大の一時的な小康状態に過ぎず、更に変異した「新型コロナウイルス」のパンデミック第2波が起こり「ロックダウン」や「緊急事態宣言」はより長期に継続され、経済はズタズタになると考えているか、そのどちらの立場を取るかに寄るように思われる。
後者の場合、サプライチェーンの寸断、物流網の混乱などにより「食糧危機が世界を襲う」と考えたり、多くの工業製品の製造がストップすると考えたりに繋がっている。一方、前者は外出自粛・禁止や巣篭もり消費により鬱積した個人の消費行動が一気に噴き出すという考え、或いはリモートワークやテレワーク、或いはオンライン学習が作り出した新たなライフスタイルによる、主としてテクノロジー系の需要が更に景気回復を後押しすると考えに繋がっている。現状のNASDAQの好調さは正に前者のもの、つまり「新型コロナウイルス」がそう遠からずコントロール出来るようになってくると米国市場は考えているということの証左だと言える。
「新型コロナウイルス」と人間との戦いがこの先どうなるかを予見することは、医療の専門家でない私には到底出来ない。現実には医療関係の本当の専門家(似非専門家も多いので、この見極めも難しい)の間でさえも意見が分かれているようなので尚更だ。
投資家として重視する2つの信条
ただ私は主として次の2つのことを、ファンドマネージャー時代の経験も踏まえて信じて、スタンスとしては前者、すなわち「もう株価は底を打って、ポスト・コロナを見据えた動きになっている」と考えている。ひとつ目は「株価の先見性」だ。「市場には神様がいて、株価は常に正しい」と昔からよく言うが、膨大な数の投資家、すなわち膨大な数の異なった知識や経験を持つ人たちの考えが反映されたものがその時々の市場の値段であり、未知のものにはいち早く怯えるが、実際にお化けが出る頃には既に怖がらずに正しい答えを見つけているというものだ。そしてふたつ目が「冷静に分析したデータから読み取れるもの」だ。
実際は私の場合、「株価の先見性」や「市場の神様」という定性的な考え方よりも、自分自身で分析して読み取ったデータ(数値)が教えてくれるものをより信じる。今回の場合で言えば、2月20日から始めた、ジョンズホプキンス大学が公表する世界各国の感染者データを毎日欠かさずに国毎に分析し、見つめてきた結果が私に実感として教えてくれているものだ。勿論、もう30年近く毎朝行っている各市場データの収集(Deep Learning)を踏まえて、私の脳というAIが推論しているものも大切にしている。人間の脳はAIよりも優れていると思う。
ジョンズホプキンス大学の日々のデータ分析が教えてくれるもの
新型コロナウイルスの拡大の状況は毎朝7時台には最新のデータに更新している「世界の新型コロナウイルス感染動向・国別データの分析」 を見て頂いていればお分かり頂けているであろう。ジョンズホプキンス大学のデータを使って加工した表で、毎朝下記の7項目をご案内している。
- 国別新型コロナウイルスの感染者数累計(降順)
- 感染者増加数の対前日比による比較(降順)
- 国別新型コロナウイルスのACTIVE感染者数(降順)
- ACTIVE感染者数の対前日比による比較(降順)
- 死亡者増加数の対前日比による比較(降順)
- 国別総人口を考慮した亡くなれた方の割合(降順)
- 国別総人口を考慮した感染者数の割合(降順)
総人口を考慮しない絶対値だけの比較の表(1-5)では、常にトップは米国だ。既に感染者数は726千人を超え、死者数も4万人に届こうとしている。つまり世界中で最も状況が悪い国が米国だという事だ。(個人的には絶対中国は数値を隠していて、現状の米国よりも死者数はもっと多い筈だと思う。ただ死因をきちんと一件、一件、調べたかどうかは定かでは無いので、実は隠蔽ではなく、正確な数値を持っていないのかも知れない)
翻って日本はどうかと言えば、現状でも感染者数は9,787人、死者190人と諸外国と比べれば全くたいしたことない(諸外国と比べることは意味が無いと語る専門家らしき人が居ることは当然知っているが、その理屈は筋が通っているとは思えなかった)。東京オリンピックの延期が決まった途端に小池都知事が突然のように「オーバーシュート」や「ロックダウン」などとヒステリックに騒ぎだし、それに同調したメディアや野党のみならず与党の若手の一部、或いは日本医師会まで浮足立って騒ぎだしたため、緊急事態宣言などということになってしまったが、あれから20日以上経っても死者数は3月25日の43人から190人に増えただけだ。
新型コロナウイルスによる死亡者数190人の意味
この死亡者数の増加を「僅か24日程度で4倍以上になった」と騒ぐ材料に使うのならば、正直「統計学」という概念から学び直し、マクロ経済学もやり直した方が良い。少なくともその見識レベルの分析では株式投資が成功する確率は極めて低いだろう。
厚生労働省が発表している面白い資料をご紹介する。これが日本というひとつの国家で一日に起きている出来事の数値だ。約10年前のものだが、大きな誤差は無いだろう。
注目すべきは左の真ん中あたりで語られている「人口について」だ。見て頂ける通り、この国で日々亡くなるは3,280人、そのうち病気で括れる要因として癌で968人、心疾患で518人、脳血管疾患で338人とある。そして純粋な老衰でも毎日124人の方が亡くなっている。自殺でも87人、事故で114人だ。繰り返すが、これがこの国のマクロで見た一日の出来事、毎日のことだ。だからと言って、ひとりひとりの死を軽く考えて良いという意味では全くないので誤解無きようお願いする。
3月25日から4月18日、つまり都知事が「オーバーシュート」だ「ロックダウン」と騒いでから昨日までの24日間に当て嵌めて考えると、「3,280人×24日間=78,720人」となり、新型コロナウイルス以外の要因で約8万人近い方がこの期間に亡くなっていることになる。この間の新型コロナウイルスによる死亡者数は「190人-43人」なので147人、これは全体の僅か0.19%に過ぎない。一日平均で考えると、「147人÷24日間≒6人」であり、3,280人に対する6人ということになる。
個々の亡くなれた方の事情とか、ご家族の悲しさとか感情的な面を考えずに、淡々と数字をマクロのデータとして捉えるというのが、正確な状況判断をする為には必要だ。データを分析する時には感情は無にしないといけない。
新型コロナウイルス感染者受入れの医療の状況
ついでに、日本の現在の医療の状況についても同様に確認しておこう。陽性と判定された感染者は原則入院しないとならない。なぜ原則と言ったか言えば、既に感染症対応可能な病床が都内等では満床になり、自宅待機が出ているからだ。既に絶対入院とは言えない段階になってしまっている。
先程の図の右側に「医療について」という欄がある。入院患者の数は1,392,400人とあり、循環器系で280千人、統合失調症で187千人、癌などで159千人とある。まず呼吸器系というサブドメインは無い。日本の新型コロナウイルスの感染者数は4月18日現在、累計が9,787人(報道は4月18日で1万人を越えたと騒いでいる)、ACTIVEな感染者は8,662人だ。東京都が発表している数値を使うと、2,691人の入院患者の内、重症者は55人、比率で言うと約2%(4月19日朝9:45現在)だ。これを全国の数字に当て嵌めると、8,662人の2%なので173人、多く見積もっても重傷者は200人程度であろう。逆に8,662人の内、約8,400人強は無症状か軽症者だ。「200人÷1,392,400人=0.014%」に過ぎず、癌患者と比較しても僅か「200人÷218,200人=0.092%」に過ぎないということだ。
ならばどうして「医療崩壊」と医師会が政府に先んじて独自の緊急事態宣言を発したかと想像すると、「2025年医療提供体制の改革」という名の下に、補助金付きの病床数の削減を行っているからだ。そう補助金も出ている。だから医師会と現場の医療関係者の考え方がしばしば違っていた。現場で新型コロナウイルスの患者に対峙している医療関係者が求めていた内容と、例えば東京都が考えていた施策に大きな齟齬が生じていたということだ。現場の最前線の医療関係者達は、早々に「無症状者、軽症者を一纏めにして1,000人単位で隔離できる少数の大規模施設を用意すべきだ」と言っていた。それに反して、東京都の考えは数十人単位で多くの病院に患者を分散するというもの。その結果、各医療機関で重症者への対応も加わり医療崩壊が起き、院内感染が拡がったという例が散見し始めたからだ。台東区の永寿総合病院の例など、その典型だ。
『2025 年 医療提供体制の改革』とは
下記に厚生労働省が平成30年6月20日に発表した「医療施設動態調査」の表をお見せする。注目して頂きたいのは、下段右側の表の中ほどにある「感染症病床」の数だ。ご覧頂ける通り、日本には感染症に対応した「感染症病床」は僅か1,848床しかない。
更に東京都だけで見ると下記の表の通り僅か114床しかない。
これが「2025年には団塊の世代が皆75歳以上の後期高齢者になるので、それに適した医療体制にしよう」ということで、旧民主党が与党であった2009年~2012年も含めて、この国が一貫して進めてきた「2025 年 医療提供体制の改革」の一面だ。感染症患者の受け入れの為には、専用の設備や病床が必要だ。例えば陰圧に出来る部屋で無ければ、感染症患者がばら撒くウイルスが病室等からダラ漏れになってしまう。だが残念ながら既に一般病床を新型コロナウイルス感染陽性者が入院病床として使っていることになる。台東区の永寿総合病院も、その患者を一部受け入れて院内感染が起きた慶応義塾大学病院も、この感染症指定医療機関には名前を連ねていない。つまり基本的にインフラが整っていないところに陽性患者をどんどん入院させてしまったという図が見えて来る。これなら医師会は慌てる筈だ。責任問題が問われかねない。
韓国はどうして上手く乗り越えることが出来たのか?
PCR検査を徹底的に行って危機を回避したと称賛する人も多い韓国でも、一度は「感染症病床が足りずに医療崩壊を起こした」と言われている。だがよく調べてみると、韓国にはそれでも計算上では6,691床の「感染症病床」があったようだ。人口が5,147万人と日本の約2.4分の1なので、日本に合わせて換算すると16,483床相当という計算になる。これは韓国ハンギョレ新聞の記事にあった「感染症に対応する公共機関の保有する病床が全病床の10%にすぎない ~略~ 一方、人口1千人当たりの公共医療機関の病床数は1.3床で、OECD平均3.0床を大きく下回る。」というものから逆算してみた数値だ。少なくとも現在の日本の「感染症病床」全1,848床より遥かに多いことが分かる。それでも一度は医療崩壊の危機に瀕した。
この韓国のインフラの状況を一顧だにせず、ある一面だけを捉えて「PCR検査の件数は韓国を見習って増やすべきだ」とワイドショーや専門家と称する人達の大合唱ともなれば、更に医師会が危機感を覚えるのも無理はない。同じことが起きたら、あっと言う間に医療崩壊だから。医療関係者の尊い命までもが失われる結果に成り兼ねない。18日現在の都庁発表のデータで見ると、東京都内だけで入院中の患者は2,691人だ。日本中の全「感染症病床」を使っても、8百人以上が溢れ出る。既にビジネスホテルなどを借り上げて無症状者や軽症者を移しているというが、実際には杉並区長が自ら語るように「自宅待機の陽性者」が居るという。(出典「小池都知事が発表する数字には嘘がある」田中良・杉並区長が“医療崩壊”の現場から怒りの告発—文春オンライン)
日本の新型コロナウイルス災禍の本当の現状をどう捉えるか
少なくとも見てきたように、感染者の増加の仕方も(いくらPCR検査をどんどん増やしていると言っても)、死亡者数の長きトレンドを見る限り「今に幾何級数的に感染者数が大爆発する」とか、「明日にでも医療崩壊が起こる」という末期的な状況ではない。少なくとも、もし日本が本当にそうなら、欧米諸国には既に「終わってしまった」悲惨な国が出てきてもおかしくない。ただ、政治家、医師会、メディアなどがそれぞれの立場々々で大袈裟に騒ぎ過ぎ(当初からの私の首尾一貫した考え)、その結果、この情報化社会の中で危機感を煽られ続けた世論が混乱を起こした典型的な「インフォデミック」の状態だと思われる。幸いなことに「緊急事態宣言」が全国に発せられたことで、あのまま悪化することは無くなったと思われる。少なくとも、感染経路が分からない感染(多くが会社や家族には説明出来ない場所で感染)クラスターの発生は減ると思われる。時々「緊急事態宣言」の下で「セクシー・キャバクラ」に出入りするような馬鹿な国会議員が出たりもするが、自制の動きはより強くなる筈だ。
市場のデータが教えてくれるもの
88年に市場参加者となって何度も何度も多くの急落や暴落、経済危機や何とかショックと呼ばれる出来事、そして地震などの災害によるダメージなどを経験してきたが、その都度、頼りになる指標として使い、幾度も助けられてきたのが「株価とボラティリティの負の相関関係」だ。勿論、タイミングが外れたことはある。つまりボラティリティのピークが来たと思ったら、もっと高いところにピークがあったというちょうど今回の例と同じ状況だ。
今回、過去3年間のボラティリティの高値を越えて一旦低下が始まった(株価はリバウンド)段階で「ここで底かな?」と思ったが、もう一段の株価の下げとボラティリティの上昇があったという例だ。だが、過去の経験から言えば、今回のように一旦82.69までザラ場ではリーマン・ショックの高値を超えるところまで恐怖指数(VIX指数)が一旦上昇し、その後ボラティリティの低下と株価の上昇が下記の図で示すような綺麗なチャートとなって騙されたことはない。
当然、この間にFRB、ECB、日銀などは積極的に動いているし、各国政府も連携を密にして金融崩壊を防ごうとしてきたこともある。リーマン・ショックと大きく違うのは、金融機関同士で複雑に絡み合ったデリバティブがどこでいつ爆発するか分からないというような金融インフラ発のものでは無いという事だ。
また地震や台風災害などのように、物理的にインフラや設備が損壊してしまい、復旧するまでに長い時間が掛かるという話でもない。問題となるのはセンチメントだ。「景気の気の字は気分の気」と言われるほど、センチメントは重要だ。各国で「ロックダウン」や「外出自粛」によって、厳しい状況に追い込まれた事業者は多い。
だが、一旦それらが解除になり、人々が日常の生活に戻れるとなれば、貯め込まれたエネルギーが逆に爆発的に動きだすのではないだろうか。現に中国武漢でロックダウンが解除された後の動きはご高配の通りである。私だって、以前のように何処にでも行けるとなれば、いそいそとスーツケースにダイビング器材を詰め込んで飛び出すに違いない。
ポスト・コロナでは色々なものが変わる
ひとつ忘れてならないのは、全く同じ過去の状態には戻らないという事だ。例えばリモートワーク・テレワークという働き方改革は、ある人には苦痛この上ない変化であったかもしれないが、ある人には「こんな良い働き方は無い」と思われるものだったかも知れない。少なくとも首都圏名物の通勤地獄から解放されたことに喜んでいる人は多いだろう。人間は一度味わった便利さなどは決して手放しはしない。また企業経営者の側からすれば「当社は絶対にリモートワーク・テレワークは不可能だ」と思っていたのが、案ずるより産むが易し、何とか出来るようになったかもしれない。
社員を一人抱えると、給与の2倍程度のコストが掛かるものとよく言われる。福利厚生費や事務所費、通勤交通費などだ。もし在宅勤務が可能となれば、都心の一等地に大きな面積のオフィスを高い賃料を払ってまでも確保する必要は無くなるかもしれない。そうした気づきや変化がこの先起きるのは止むを得まい。寧ろ前向きにそうあるべきだ。
オンライン学習も同様だ。学校は共同生活を学ぶところでもあり、単に勉強だけをする場所では無いが、翻って塾や予備校はどうであろうか?夜の9時、10時に小学生達が塾の先生に先導されて最寄りの駅まで歩いている姿は自然なものなのだろうか?家との塾との往復に費やす時間や諸々のリスクを考えた時、塾や予備校にはオンライン学習というのは、大きな選択肢なのかも知れない。
こうした前提を踏まえて具体的に投資戦略を細かくこれからは落として行けるだろう。転んでもただでは起きない強さを今まで人類は歴史上常に示してきたのだから。より具体的な話は、プレミアム会員向けのレポートで続けさせて頂くことにする。