【FG 臨時レポート】隠蔽されたクーデター─国家情報長官が暴露

Facebook
Twitter
INDEX

このレポートを読むすべての投資家へ

「トランプ支持は不愉快」「MAGA礼賛には辟易する」。
そう感じる方も、少なくないかもしれません。とりわけ、長年にわたり制度と経済の秩序を信じてきた日本の知的投資家層ほど、政治的スタンスの違いに敏感であり、一定の拒否反応を示す傾向があるように思います。

ですが、今回取り上げるのは、そうした“政治的好き嫌い”の次元では到底処理できない、制度的スケールの出来事です。米国の国家情報長官(DNI)が公式に機密文書を解除し、「オバマ政権が国家情報を政治的目的で捏造し、トランプ当選の正統性を破壊しようとした」と明言した──この事実が意味するのは、「民主党が悪い」でも「トランプが正しい」でもありません。参照すべき一次情報としての米ホワイトハウスの公式YouTubeのURLを次に示します。全てはこの動画が語っていることです。「Press Secretary Karoline Leavitt Briefs Members of the Media, July 23, 2025」(リンクをクリックして、動画をご覧ください。)

それは、我々が投資対象としている「米国」という国家が、制度的にどのような強靭さと脆さを併せ持っているか──その構造的実相に向き合うべき瞬間が来た、ということです。

私は政治運動家でもなければ、陰謀論者でもありません。40年にわたり市場業務に携わり、いま日本の個人投資家のリテラシー向上のお役に立てればと情報提供をしている者として、この事件が「本当に投資判断に無関係なのか」を問い直す必要があると感じています。米国は、民主主義という制度を自ら壊すリスクを孕みながら、それでも自浄作用によって再起しようとしているのか。それとも、制度疲労の末期にあるのか。その“兆候”を読むことは、米ドルを持ち、米国株に投資し、AI企業やエネルギー政策に資本を投じる我々にとって、決して他人事ではありません

このレポートは、「トランプ支持」や「オバマ批判」といった色眼鏡ではなく、制度の断層とその修復の兆しを、投資家の目で見つめるための材料提供を目的としています。政治的信条の違いを超えて、「構造を読む知性」と「証券市場と国家制度の相互作用」を真摯に考えたいと願う方々に、少しでも資するものであれば幸いです。

制度が語り始めた──2025年7月23日、ホワイトハウスに走った“沈黙を破る声”

2025年7月23日、ワシントンD.C.のホワイトハウスで開かれた記者会見は、政治ニュースに馴染みのない投資家にとっては一見「例外的」な出来事に映ったかもしれない。しかしこの日、国家の知的中枢が、過去の重大な制度的誤謬を国家の名のもとに訂正したという意味において、これは単なる政治劇ではない。アメリカという投資対象国の「制度リスク評価」において、看過できない歴史的転換点であった。

会見に登壇したのは、国家情報長官(DNI)トゥルシー・ギャバード氏。DNIとは、CIA、NSA、FBIをはじめとする17の米国情報機関を統括する、国家インテリジェンスの最高責任者である。彼女の肩書きが示すのは単なる政治ポストではなく、「米国家情報コミュニティ全体を代表する制度的権威」という意味であり、その発言は形式的にも、実質的にも国家公式見解に等しい。

そのギャバード氏が語った内容は衝撃的だった。2017年1月に公表され、トランプ大統領(当時)の正統性に深刻な疑念を投げかけた「ロシアがトランプを支援した」とする統合情報評価(ICA)は、バラク・オバマ大統領とその側近たちの政治的意図によって捏造された虚偽の諜報評価だった」と明言されたのである。しかもそれは、私的見解ではなく、実際に機密解除された文書群を根拠とした上での制度的結論として発表された。

このICA(Intelligence Community Assessment)は、オバマ政権の最終局面で作成された異例の報告書であり、2016年の大統領選挙におけるロシアの影響を「トランプ候補を利する方向で」行われたと断定。以後、“ロシアゲート”として知られる一連のスキャンダルの出発点となり、特別検察官モラーによる長期捜査、議会による弾劾、メディアの執拗な報道へとつながっていく。

だが今回の会見でギャバード氏は、次のように述べた。

「当時のICAは、オバマ大統領の異例の指示により、情報機関内部の通常の分析手続きを経ず、わずか数名の上級職員によって政治的意図をもって書き上げられた。証拠はすべて文書として保存されていた。」

この発言の背景には、下院インテリジェンス委員会監視チームによって2020年にまとめられていた調査報告書がある。トランプ政権の第2期開始とともに、ギャバード氏がDNIに就任。政権移行後最初に命じられたのが、この報告書の完全な再調査と機密解除だった。記者会見では、以下のような具体的な異常が制度的に列挙された:

  • 通常、複数機関の合議で策定されるICAが、わずか「5名の分析官」と「1名の主筆」によって書かれていた。
  • 情報の出所が不明で、CIA内部でも「出版に値しない」とされた報告を、当時のCIA長官ブレナンが独断で挿入。
  • ロシアがヒラリー・クリントン候補に対して「選挙後に暴露する」情報を保持していたにも関わらず、それを故意に省略。
  • トランプ候補とロシアの関係を示すとされた「スティール文書」が、信頼性ゼロであると承知のうえで使用されていた。

これらの情報操作の全体像が、国家情報長官の公式声明として読み上げられたという事実は、歴史的な意味で“制度が自らの誤謬を語り始めた瞬間”だった。アメリカという国が、誤りを国家として訂正できるかどうか──それは単なる政治的スキャンダルを超え、「民主制度の健全性」そのものに関わる問題である。

さらに注目すべきは、このような制度的“自己訂正”が行われたにもかかわらず、米主要メディア──とりわけCNNやニューヨーク・タイムズなど──が、この会見を事実上無視し、ほとんど報道しなかった点である。これについては第4章で詳述するが、国家機関が制度的に過去の誤りを認めたにもかかわらず、それを報じるメディアがないという構図は、もはや「報道の空白」ではなく、「報道の意思的拒絶」と言っても過言ではない。残念ながら、日本のメディアも当然にして、これに右へ倣えとなっている。

2025年7月23日のホワイトハウスは、見方によっては静かだった。しかしその静けさの裏で、米国の制度が自らの断層を語り始めた。その告白は、政治的信条を超えて、投資家が見落としてはならない“構造的サイン”である。そして今こそ、そのサインをどう読み解くかが問われている。

“証拠”は捏造された──2017年ICAという政治工作文書の実相

歴史において、国家が誤った情報評価に基づいて行動した例は枚挙に暇がない。しかし、制度上の正規手続きを逸脱し、意図的に歪められた「諜報文書」が、現職大統領の正統性に傷をつけ、政権転覆に近い政治的打撃を与えた──そのような事態が、自由民主主義国家アメリカで公式に確認されたのは、おそらく今回が初めてであろう。

2017年1月6日、オバマ政権の末期に公表された「ICA(Intelligence Community Assessment)」は、CIA・FBI・NSAの三機関による連名の統合報告書として、トランプ新大統領の就任直前に発表された。この報告書は「ロシア政府がドナルド・トランプ候補の当選を望み、選挙に干渉した」と断定口調で述べられており、メディアはこれをもって「トランプはロシアに選ばれた男」と吹聴した。

しかし、今回ホワイトハウスで公開された国家情報長官(DNI)トゥルシー・ギャバード氏による訂正声明は、こうした見立てを根底から覆すものである。その内容を一つずつ精査していくと、2017年のICAは「分析評価」ではなく、意図的な「政治工作文書」であった疑いが極めて濃厚であることが浮かび上がる。

まず、ICAの策定プロセス自体が異例であった。通常、ICAは17の情報機関による合議とレビューを経て作成されるが、この報告書は、CIA・FBI・NSAの一部上層部によって、ごく限られた人数──実質的には5人の分析官と1人の主筆──によって密室で草案化されていたことが明らかになった。その主筆は、当時のCIA長官ジョン・ブレナンの腹心であり、ギャバード氏はこの構造を「証拠よりも目的が先にあった」と明言した。

次に、使用された“証拠”の信頼性が極めて低かった点が問題である。報告書の中核的根拠として扱われたのが、いわゆる「スティール文書」である。これは元MI6職員クリストファー・スティールが民間委託で作成した未検証の報告であり、その資金源はヒラリー・クリントン陣営および民主党全国委員会(DNC)であったことが後に判明している。この文書には、ロシア政府がトランプ候補に対して「性的に脅迫できる情報(コンプロマット)を持っている」などという荒唐無稽な記述が並んでいたが、CIA内では「プロパガンダレベルの与太話」であると評価され、NSAに至っては「完全に信用できない」としてICA署名を保留した。にもかかわらず、オバマ政権下でCIAを率いた当時のCIAブレナン長官は、あえてこのスティール文書をICAに挿入した。

さらに悪質なのは、「意図的な省略」によってバランスを欠いた構成になっていた点である。たとえばロシア政府は、実はヒラリー・クリントン氏に不利となる情報を「選挙後に暴露する意図があった」とするNSAの傍受記録が存在していた。しかしこの情報は、ICAには一切記述されていない。つまり、ロシアがトランプ候補だけを「選んだ」かのように構成するために、都合の悪い事実を隠蔽したのである。

こうした編集・挿入・削除のすべてが、オバマ政権末期のホワイトハウス主導で行われた──これは今回ギャバード氏がDNIとして明言した最も重大な部分である。彼女は、当時の国家安全保障担当補佐官スーザン・ライスが主導し、CIAの選別チームに「必要な方向性」を伝えていたという機密メモを公表した。そこには「大統領(オバマ)の意向に反しないよう配慮せよ」と明記されていたという。

このようにして作られた2017年のICAは、トランプ新政権の信頼性を傷つけ、以後の“ロシアゲート”報道を牽引し、米国社会に深刻な分断をもたらした。制度が虚偽の構造を背負わされた結果、FBIによる違法な監視(FISA申請)、メディアによる執拗なトランプ叩き、果ては弾劾審議にまで至ったその連鎖は、もはやひとつの情報評価ミスというレベルを超えている。

ギャバードDNIは会見で、こう語った。

「アメリカの情報機関は、国家の安全を守るために存在している。だが2017年のICAは、国家ではなく“政権の延命”のために使われた。制度はそれを自ら是正しなければならない。」

その静かな断罪には、制度の奥底から湧き上がる「自律回復力」がにじんでいた。問題は、今その告白を、どれだけの人が正しく受け止めているかという点である。そして何より、それを報じない大手メディアの沈黙こそが、次なる“制度の病理”を映し出している。

メディアはなぜ沈黙するのか──報じられない“事実”という異常

アメリカ合衆国において、国家情報長官(DNI)が公式のホワイトハウス記者会見で、過去の政権による情報操作を名指しで断罪し、その政治的目的と具体的な指示系統まで開示するという出来事は、現代史上例を見ない。だが、その衝撃に比して、驚くべきほどに“静かな”現象がもう一つあった──メディアの沈黙である。CNN、ニューヨーク・タイムズ(NYT)、ワシントン・ポストといったリベラル系メディアは、この記者会見にいずれも代表記者を派遣していた。会見では、トゥルシー・ギャバードDNIが詳細な資料と共に、2017年のICA(統合情報評価)がいかに政治的に歪められたかを時系列で解説し、当時のCIA長官ジョン・ブレナン、国家安全保障補佐官スーザン・ライス、さらにはホワイトハウスの指示文書の存在にまで踏み込んだ。資料は精緻であり、語り口は抑制的かつ論理的であった。

にもかかわらず──その会見の様子は、CNNの米国版Webでは一切報じられていない。ニューヨーク・タイムズも同様である。わずかに保守系メディアが取り上げ、SNSを通じて断片的に拡散されただけだ。

これは単なる「編集判断」ではない。記者会見という、公開かつ公式な情報提供の場での発言を“報じない”という決定は、メディアにとって極めて重い意味を持つ。ましてや内容が、民主党政権による制度の私物化と、情報機関の政治利用という、民主主義の根幹に関わるものだったのならばなおさらである。

なぜ、報じないのか。なぜ、黙殺するのか。

その問いに対して、合理的な説明は一つしかない。「報道することで、自らの過去の誤報・誘導の責任が問われるから」である。

実際、2017年以降の“ロシアゲート報道”は、これら大手メディアが主導した巨大キャンペーンだった。CNNは日々の番組で「トランプはロシアの傀儡か?」というトーンを繰り返し、ニューヨーク・タイムズは「ロシアの干渉が選挙結果を左右した」とする特集記事を何本も掲載した。ワシントン・ポストは、FISA監視の正当性を疑問視した声に対して「陰謀論」と切り捨てた。

つまり、メディアはICAを“報道した”だけではなく、それを拡声器として使い、視聴者の意識を方向づけた当事者だったのだ。そして、その中核となる情報が政治的に捏造されたと公式に認定された今、報道すればするほど自らの正当性が崩れていく──だから、報じない。

この自己防衛的な報道姿勢は、報道機関という存在の根本的な役割と矛盾する。報道とは、たとえ不都合であっても「知るに値する公共的事実」を伝える義務を負う。だが現実には、その「知る権利」は、選別され、管理され、時に隠蔽されている。

一方で、ギャバードDNIが名前を挙げた一人──バラク・オバマ元大統領に関しては、メディアはむしろ“報道しない自由”を発動している節がある。これも、彼が“リベラルの聖域”とされてきたことと無縁ではない。彼のイメージに傷がつくことは、民主党の道徳的権威の喪失につながり、メディア自身の「立場性」すら揺るがせるのだ。

こうした構造を、ギャバードDNIは記者会見の中で静かに指摘している。

「この7年間、ある“物語”が国家の情報機関によって作られ、それをメディアが無批判に反復した。そして今、その物語が根底から崩れようとしているとき、沈黙こそが最大の語り口になっている。」

この言葉は、真に重い。

問題の本質は、DNIの発言が事実かどうかではない。──すでに、それは公文書と公式プロセスに基づいて発表された“国家の自己証言”である。問うべきは、それを人々に伝える役割を担うはずの報道機関が、なぜそれを放棄するのか、という一点にある。

そして、この「報じない選択」が続く限り、民主主義は形だけの制度に堕し、「誰が物語を制するか」が現実を決めてしまう世界に近づいていく。ギャバード氏の告発が、今後制度を再建する契機となるのか、それとも沈黙と忘却の海に消えていくのか──私たちは、歴史の分岐点に立たされている。

制度は誰のものか──“機能する法治国家”の条件

2025年7月23日の記者会見で、国家情報長官トゥルシー・ギャバード氏が繰り返し用いた表現のひとつに、“the integrity of institutions”──制度の完全性という言葉があった。これは単なる道徳的レトリックではなく、彼女の一連の主張が、決して政争の具として語られていないことを示す重要な手がかりである。なぜなら、彼女が告発したのは「民主党」ではない。「一党支配のメカニズムが、制度の上に覆い被さり、その運用を歪めた構造」──すなわち、特定の政党や人物の問題を超えた、“制度と統治の病理”だったからである。

実際、2017年のICAに見られるような情報機関の政治的濫用は、それ単体では成立しない。そこには、監視と牽制を担う司法省の黙認があり、議会の形骸化があり、そして報道機関の沈黙があった。こうした構図が複合的に絡み合うことで、民主国家における「制度の歪み」は“合法的外観”を伴って進行する。その意味で、ギャバード氏の発言が画期的だったのは、単に過去の違法行為を暴露したからではない。「制度そのものの主権者は国民である」という、法治国家の根幹を明確に再提示したからである。

日本にいる私たちは、しばしば「アメリカは分断されている」とか「トランプ現象は異常だ」という報道に触れる。だがその見方は、制度それ自体が“自らを訂正する機能”を内包しているという、民主主義の本質を見落としている可能性がある。つまり、分断や対立ではなく、“制度の浄化作用”としての政治運動であるという可能性だ。今回の告発が、仮にトランプ大統領の復権を後押しする結果となったとしても──それは“個人の勝利”ではない。制度が自己修復し得るという、国家の成熟の証なのである。

この視点は、投資家にとって極めて重要だ。なぜなら、国家という統治システムが、制度の自己修復力を持ち、それを機能させる民意を内包しているとすれば──その国家の中で展開される経済活動もまた、一定の安定性と予見性を担保され得るからである。たとえば、司法の中立性が制度的に破綻していれば、知的財産権も、契約法も、証券法も、いずれ「恣意的運用」の対象となり、最終的には市場そのものが信認を失う。逆に、たとえ政争が激化しても、その過程において制度の整合性が維持されるのならば、むしろ市場にとってはプラスに働く可能性もある。

今回、ギャバード氏が示したように、DNI、司法省、連邦捜査局(FBI)、CIA、国防総省──いずれの制度にも、今なお“修復可能な人材と構造”が存在しているという事実は、極めて前向きなシグナルだ。制度が制度として機能し続けているからこそ、今この瞬間に、過去の歪みが正され始めているのだ。この制度的健全性こそが、投資環境としてのアメリカの“最後の砦”である。

民主主義は、完璧な制度ではない。だが、それを支えるのは「自己訂正し得る構造」と「それを許容する文化」だ。ギャバードDNIの発言は、まさにこの両輪を前提とした上で、“制度を制度として立て直す”という挑戦の開始を告げたものだった。そしてそれは、単なる米国の内政問題ではない。世界中の投資家にとって、「アメリカという市場が、いかにして自らの信認を維持し続けるのか」を見極める、重要な視座である。

メディアの沈黙──“報じない自由”が歪める市場の透明性

国家情報長官トゥルシー・ギャバード氏がホワイトハウスの記者会見で発した内容は、本来であればあらゆる報道機関が一斉に速報で伝えるべき規模と深度を持っていた。ところが、少なくともその日、CNN、MSNBC、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど、いわゆるリベラル系主要メディアは、この会見に関して事実上の“沈黙”を保った。これは偶然ではない。むしろ「報道しない自由」という行使であり、ジャーナリズムの本来の役割──すなわち、権力への監視と公共への情報提供──を自ら手放した瞬間であった。

ギャバード国家情報長官が提示したのは、オバマ元大統領とその政権が2016年の大統領選に際し、情報機関を通じてトランプ陣営を標的にした「政治的操作の疑い」が濃厚であるという、制度的かつ構造的な問題提起である。しかもそれは、当時のDNIを含む三機関(CIA、FBI、NSA)が出したとされる「ICA(統合情報評価)」という公式文書の信憑性に対して、現在のDNIが“根拠の乏しい政治的産物”であると明確に疑義を呈した、事実上の撤回声明でもあった。

にもかかわらず、大手メディアの多くがこの記者会見を“無視”した。

皮肉なことに、ギャバード国家情報長官が壇上で発言した通り、この“報じない姿勢”こそが、まさに彼女が告発していた「制度に対する信頼の破壊行為」の構成要素なのである。情報機関が政治利用されただけでなく、それを追及すべきジャーナリズムが当事者性を放棄し、黙認の役割を果たす──この二重構造が、制度そのものの健全性を蝕んできた。

日本のメディア状況も、これに大きく呼応している。現時点で、ギャバード国家情報長官の記者会見を報じた国内主要メディアは皆無に近く、たとえ報じたとしても、表層的な紹介か、もしくは一部を切り取った“バランス演出”の域を出ない。だがこの“報じられない構造”こそが、投資家にとって最も注意すべきポイントである。なぜなら、グローバルな資本市場において「情報の非対称性」は投資判断を大きく歪める。特に今回のように、政権交代の根幹に関わるような制度的スキャンダル──すなわち「統治構造そのものへの信頼性」に関わる問題が、“報道されないことで存在しないことにされる”ような環境が続けば、市場が本来反応すべき情報にアクセスできなくなる。これは情報効率性の否定であり、健全な価格形成を妨げる。

ギャバード国家情報長官の言葉を借りれば、今回の告発は「過去の政権を断罪するものではなく、制度を立て直すための出発点」である。その誠実な意図が伝わらず、報道によって黙殺されてしまえば、国民の判断力は鈍り、ひいては市場も誤った方向へ導かれかねない。本来、メディアの役割は、市場に対しても制度に対しても、「透明性の媒介者」であるべきだ。だが今、アメリカの報道機関の一部は、その機能を自ら手放し、ある種の“制度圧力”に加担している。

投資家として私たちが問うべきは、政争の勝敗ではない。「市場は制度の上に築かれる」という当たり前の事実と、その制度が報道機関によって支えられているかどうか──つまり、“制度の透明性の構造”に他ならない。

“報じられなかった真実”──沈黙するメディアと投資家の眼力

この記者会見は、単なる爆弾発言では終わらなかった。トゥルシー・ギャバード国家情報長官が2025年7月23日に行った声明は、米国の民主主義と制度に対する根本的な信頼を揺るがしかねない内容を含んでいたが、それ以上に衝撃的だったのは──それを報じるべき主流メディアが、実質的に「沈黙」したという事実である。

記者会見の当日、会場にはCNNの女性記者をはじめ、いわゆる大手報道機関の記者たちが出席していた。しかし彼らの姿勢は、熱気とは程遠いものだった。ギャバード長官が「2017年のICA(統合情報評価)は政治的に捏造された」と断じた時点で、本来ならば矢継ぎ早の質問が飛び交い、米国政治の根幹に迫るスクープ争いが勃発していて然るべきだった。しかし、実際に起こったのは、「記者として出席簿に○をつけに来ただけ」と揶揄されても仕方のない、あまりにも静かな“通過儀礼”のようなやりとりだった。

しかも、会見後の主要報道機関の扱いは、さらに異様だった。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)や一部の保守系メディアを除けば、CNN、ニューヨーク・タイムズ(NYT)、ワシントン・ポスト(WP)といった、かつて「報道の良心」とされたブランドは、この事件をまるで“存在しなかったこと”にしようとしているかのような対応に終始した。実際、CNNのWeb版には、会見翌日になってもこの会見を正面から報じた記事は見当たらず、他愛もない選挙動向や気候問題のトピックばかりが並んでいた。

なぜか──理由は明白である。この問題は、いわば彼ら自身の“過去の報道姿勢”の誤りをも突きつけているからだ。2017年以降、主流メディアはこぞって「トランプ陣営がロシアと共謀した」とするストーリーを報じ続けてきた。マラー特別検察官の報告書が「共謀の証拠なし」と結論づけた後でさえも、その論調が根本的に変わることはなかった。その背後にあったのが、今回DNI長官によって“政治的に仕組まれた”と明言されたICA文書である。つまり、メディアが乗せられた“情報工作”は、同時に自らの報道の正当性を崩す事態でもあるのだ。

ここにこそ、今回の事件が「ウォーターゲート級」と言われる所以がある。ウォーターゲート事件では、メディアが権力の不正を暴いた。しかし今回の件では、むしろメディア自身が「共犯者」の側に回っていた疑義が生じている。そしてその問いに、彼らは答えようとすらしていない。だからこそ、我々投資家が持つべき姿勢は、情報の“量”ではなく、“構造”と“出処”を問うことだ。今回の記者会見は、たとえば景気指標の変化や政策金利のサプライズのように、表面的にマーケットが反応するような情報ではないかもしれない。しかし、民主主義の制度が自己訂正機能を取り戻したこと、そしてこれまでの情報の流れが実は歪められたものであったという事実は、必ず中長期的な制度変容として、市場の本質的評価軸を揺るがす可能性を孕んでいる。

誤報が続けば、社会の制度的信頼が損なわれ、ひいては規制、外交、経済政策の基軸にも陰りが差す。逆に、今回のように、制度の内部から訂正機構が働くならば、アメリカという国家そのものが“制度の回復力”を持ちうることを示している。これは、単なる政局の話ではない。国家制度の“健全性”の再評価に関わる重大なマクロテーマである。だからこそ、誰が沈黙し、誰が報じたか──そして、それを我々がどう読み解くか──この問いにこそ、投資家の真の眼力が問われている。

“制度が壊れるとき、誰が真実を語るのか”

トゥルシー・ギャバード国家情報長官がホワイトハウスで行った記者会見は、米国史に残る“制度の自己訂正”として、将来、重大な転換点として記憶される可能性を孕んでいる。単にある政治家が過去の情報評価を「誤りだった」と認めた、というレベルの話ではない。これは、アメリカ国家の最も中枢にある情報制度──すなわちDNI(国家情報長官)という“情報の統合権威”が、自らの前任者が発信した「ロシアがトランプ氏を支援した」とするICA(統合情報評価)を、「政治的に捏造されたものであり、根拠に欠けていた」と明確に撤回したという事実である。

制度というものは、ただ文書の束や法律の集積ではない。それを運用する人間の倫理、信念、そして責任感によって支えられている。ギャバード長官の発言は、まさにその「制度の魂」に火を灯す行為だったとも言える。現職大統領ではなく、前政権、つまりオバマ元大統領の政権下で起きた情報操作の可能性──それが国家機関の“政治利用”によって行われていたならば、それは単なる誤報では済まされない。米国の民主主義の根幹に関わる問いが、今、改めて突きつけられているのである。

だが、最も驚くべきは、それを報じない報道機関の側である。ジャーナリズムとは権力の監視者であるはずだ。そのジャーナリズムが、今や特定の政治的文脈に組み込まれ、真実に向き合うことを放棄しているとすれば──それこそが制度の崩壊の兆候であり、もっとも深刻な病巣である。我々は、歴史的に“何が起きたか”ではなく、“誰がそれを語らなかったか”をも記録しなければならない。そして、我々投資家は、このような“報じられなかった真実”にこそ、最大の注意を払うべきである。なぜなら、制度の透明性、公正性、可視性こそが、自由経済の最大の前提条件であり、それが失われるということは、金融市場にとっても“価格形成の信頼性”が毀損されることに等しいからだ。逆に、制度の自己修復が果たされるならば、それは投資環境にとっても中長期的な安定性を回復する好材料となりうる。

このレポートをここまで読んでくださった方々に、あえて最後に強調しておきたい。私は、トランプ大統領を特別に支持しているわけではない。ましてや、民主党を敵視するつもりも毛頭ない。ただ、制度と社会構造の側に立って「何が壊れ、何が回復されようとしているのか」を見極めることが、投資家としての責任であり、本質的なリテラシーであると信じている。大切なのは、「何を信じるか」ではない。「どこまで見通せるか」である。制度が壊れかけたとき、真実は必ず霞に包まれる。そのときにこそ、我々の眼力が試される。

ファンドガレージ 大島和隆

Fund Garageへようこそ。主宰の大島和隆です。投資で納得がいく成果を得る最良の方法は、自分自身である程度「中身の評価」や「モノの良し悪し」を判断が出来るところから始めることです。その為にも、まず身近なところから始めましょう。投資で勝つには「急がば回れ」です。Fund Garageはその為に、私の経験に基づいて、ご自身の知見の活かし方などもお伝えしていきます。