日銀は1月24日、政策金利を0.5%程度に引き上げることを決定しました。これにより、物価高や円安トレンドの終焉が期待されています。ところが、歴史を振り返ってみると、金融政策を変えたからといって為替トレンドも変わるとは限らないようです。
今回は、為替変動がどのような要因によって起こるのかについて、プロのファンドマネージャーが解説します。
投資での資産形成をお考えの方も、既に投資を始められている方も、ご自身の知識と照らし合わせながらご覧ください。
(Fund Garage編集部)
金融政策だけでは為替トレンドは変わらない本当の理由
バブル崩壊後の日本経済——なぜ日本円は復活したのか?
2021年から始まった現在の円安トレンド。日銀に利上げを求める声は大きいが、実際利上げをすればすぐに円高に傾くのだろうか。
その答えはNOである。なぜならこの円安トレンドは、世間一般に通用している為替相場の解説ロジック、すなわち金利差・購買力平価(ビッグマック指数など)・需給などという点では説明不可能だからだ。
バブルが崩壊したときのことを思い出してほしい。当時銀行は不良債権処理にあえぎ、財政出動で度重なる景気刺激策を行ったが、景気は浮揚しなかった。金融は緩和、金利は当時史上最低の0.5%にまで急降下していたそんな最中に、1ドル160円から85円超にまで日本円が強くなった理由を、型にはめたロジックで説明しようとしても無理だろう。
当時(90年〜95年)の背景を以下に整理した。これは、実際に当時からその世界に身を投じていた者としての記録・実感・記憶を総合的にまとめたものだ。
1. 米国の「双子の赤字」
- 財政赤字と貿易赤字の拡大: 米国はこの期間中、いわゆる「双子の赤字」と呼ばれる、財政赤字と貿易赤字の大幅な拡大に苦しんでいた。特に、1994年には対日貿易赤字が670億ドルに達し、これがドルに対する信頼を低下させた。
2. 米国の景気変動と金融政策の変化
- 景気後退と金利低下: 米国は日本のバブル崩壊の影響も受けて、1990年から1991年に一旦リセッションに陥り、FRBは利下げを行っている。1990年初頭に約8%だったFFレートを、1992年末には一旦約3%にまで引き下げている。
- 経済回復と金利引き上げ:1994年頃から米経済は回復し始め、FRBはインフレ懸念に対処するため利上げを行った。(1994年2月から12月にかけてFFレートを3%から6%に引き上げ)
3. 日米貿易摩擦
- 自動車輸出の制限と貿易交渉: 日本は、特に自動車産業での対米輸出が米国の保護主義的な圧力を強化する要因となっていた。米国は日本の「不公正な」貿易慣行に対する不満を表明し、日米貿易摩擦が悪化した。これに対し、日本は輸出の自主規制を行い、各社の米国工場進出が加速した。
4. 円の信頼性と国際的地位
- 安全資産としての円: 日本経済はバブル崩壊後も製造業を中心に強固な基盤を維持しており、経常収支の黒字が続いていた。円は安全資産としての地位を確立し、一部投資家はリスク回避の動きから円を選ぶようになった。
5. 橋本通産大臣の訪米
- 1995年の訪米と輸出自主規制: 橋本龍太郎通産大臣が1995年に訪米し、日米間の貿易摩擦を和らげるための重要な交渉を行った。この訪問での主な焦点は、日本の自動車輸出を含む貿易不均衡の解消。米国通商代表のミッキー・カンターとジュネーブで合意に達し、自動車と自動車部品の取引に関する包括的な協定を結んだ。この交渉により、米国の対日圧力が和らぎ、円高トレンドが徐々に終息に向かう。
ちなみに一説によると、橋本氏が土下座までして許しを請うたのだとか。こうした橋本氏の政治的配慮に富んだ積極的な外交は、日米関係の改善に寄与したと高く評価され、首相就任への道を開いたとも言われている。
つまり、プラザ合意然り、1995年の橋本元通産大臣の訪米然り、大きな転換点は「国際政治」にあるということだ。
そして、こうした国際政治の面から考えると、「アベノミクス」と呼ばれた経済政策の奥深さを垣間見ることができそうだ。次項で、「アベノミクス」による円安の背景にはどのような国際政治があったのか見ていこう。
「アベノミクス」の秘密——為替と安全保障
アベノミクスの政策は2012年末から2013年にかけて始まったが、同時にこの時期に日米間(米国首脳はオバマ大統領)での経済協力が強化され、金融政策や貿易政策についての協議が次々と行われている。
時として、「アベノミクス」はその「三本の矢」と呼ばれた経済政策が本筋と捉えられ、なぜか批判的に論評されることが多くなっている。確かに、「アベノミクス」を単に下記の政策と表面的に捉えるだけだと、今後の為替政策に関する視点も見誤りかねない。
- 「金融緩和」=日銀の大規模な金融緩和政策が、株高と円安を促進した。
- 「財政出動」=政府の積極的な財政政策により、国内需要が刺激された。
- 「成長戦略」=規制緩和や構造改革を通じて、経済成長を促進する政策が行われた。
もちろん、この「三本の矢」がアベノミクスの中心であったことは事実だが、前述の「プラザ合意」や「1995年の橋本元通産大臣の訪米」などのように、安倍元首相の政策には実は多くの国際政治が絡んでいた。すなわち、日米間の協力、悪く言えば米国の国益にも適う政策だったということだ。
たとえば2013年から2016年にかけては、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉が進められた。このTPPを通じて、米国はアジア市場へのアクセスを拡大し、日本との貿易赤字を是正する機会を得たということだ。
さらに日米は金融政策についても事前に充分な協議をし、日銀の政策が為替操作とみなされないよう配慮している。結果的に、米国は日本の金融緩和を支持することとなった。なぜなら、日銀の大規模な量的緩和は円安を促進し、日本経済を活性化させるための重要な手段だったからだ。そのうえ、円安政策が過度な貿易摩擦を引き起こさないよう、米国と協議を重ね、円安が経済の健全な成長を促すものであるとの理解を得るように努めている。
また、アベノミクスと並行して、日米は安全保障面での連携を強化した。よって政治的な信頼関係が深まり、経済政策の実行においても米国からの支持を得ることができたと言えよう。安全保障上の米国側のメリットについても、下記に整理しておく。
- 地域の安定化:アジア太平洋地域での影響力維持。米国が中国の台頭に対抗する一助となった。
- 軍事的協力の深化:日本は防衛予算を増加させ、共同訓練や情報共有を強化。米軍のプレゼンスが高まり、迅速な対応能力が向上。
- 戦略的抑止力:米国は日本を通じて、北朝鮮や中国に対する戦略的抑止力を強化。特に、弾道ミサイル防衛システムの配備や海上安全保障の協力が進んだ。
- 技術協力:日米は防衛技術の共同開発を進め、先端技術分野での協力を強化。米国は新技術を活用し、軍事的優位性を維持。
アベノミクスを支えた日米間の協力は、経済政策だけでなく安全保障面でも重要な役割を果たしたのである。
つまり、
「アベノミクス」で米国側も経済的メリットを享受
⇩
日米の戦略的パートナーシップが深化
⇩
円安と株価上昇が実現
⇩
日本経済の再生に寄与
という循環があったと言えよう。
ただその後、当時ほどに日米関係が順風満帆かと言えば、必ずしもそうとは言えなくなり始めている。私はこれ以上、政治に関する言及は控えるが、少なくとも単純に日銀の金融政策だけで為替トレンドが変化するものではないという点はご理解いただけたと思う。
まとめ
いかがだっただろうか。
この数年、「日銀が利上げをしないから円安が止まらない」という意見はとても多く聞かれた。しかし、歴史を振り返って見ると、経済は政治と密接に関係しているということがお分かりいただけたはずだ。
今回の内容は、公式YouTubeでも詳しく説明しているのでぜひ参考にしていただきたい。
編集部後記
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